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本興寺 (横浜市) : ミニ英和和英辞書
本興寺 (横浜市)[ほんこうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [こう]
 【名詞】 1. interest 2. entertainment 3. pleasure 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [よこ]
 【名詞】 1. beside 2. side 3. width 
: [はま]
 【名詞】 1. beach 2. seashore 
: [し]
  1. (n-suf) city 

本興寺 (横浜市) : ウィキペディア日本語版
本興寺 (横浜市)[ほんこうじ]

本興寺ほんこうじ)は、神奈川県横浜市泉区上飯田町3624番地にある日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は法華山。日什門流八別格本山のひとつ(他の別格本山は会津妙法寺、会津妙國寺、品川本光寺、品川天妙國寺、見附玄妙寺、吉美妙立寺、京都寂光寺)。
== 沿革 ==

*もともと飯田のこの地は、鎌倉街道上ノ道が通り、身延山に隠棲した日蓮が、湯治のため常陸国に向かう途中に通過し、また、没後の遺骨も通過したゆかりの地であったという。鎌倉の地(現:鎌倉市大町)に延元元年(1336年)、日蓮の門弟「九老僧」の一人天目が休息山本興寺を建立した。永徳2年(1382年)、日什が2世となり、山号を法華山と改める。辻説法の由緒地に程近く、「辻の本興寺」とよばれた。のちに日什が開創した京都妙満寺本寺とする日什門流(什門)の寺となった。星霜を経た慶長13年(1608年)、本興寺27世から妙満寺27世となった日経が不受不施を説いたため、江戸幕府によって京都六条河原で耳・鼻削ぎの刑に処せられ、関連寺院は取り潰された。これを慶長の法難という。日経が与同した師日奥らの不受不施派は、キリシタンとならんで幕府の厳しい詮議の対象となった。このため、30世日顕により万治3年(1660年)、日蓮ゆかりという鎌倉郡飯田村の当地に寺基を移し、法灯を伝えることとなったのである。なお、辻の旧地にも寛文10年(1670年)、比企谷妙本寺日逞により鎌倉に本興寺が再興され、妙本寺末寺となって現在に至っている。
*什門の名刹として、その後、戦前に至るまで顕本法華宗本山であった。同宗は政府の意向により1941年日蓮宗と合同した。戦後旧守派の大本山妙満寺、本山妙法寺、本山天妙國寺、本山寂光寺等200箇寺が分離したものの、改革派は日蓮宗に残り本興寺は什門4本山(妙國寺、本興寺、玄妙寺、妙立寺)の一つとなる。なお中間派は単立として現在に至る(品川本光寺等)。
*日蓮宗に残留した180箇寺は宗内で「日蓮宗什師会」を組織している。
現住は67世浅井日彰貫首(文京区本念寺より晋山)。什師法縁。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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